色彩文様研究所
菊水文
2020年11月17日
菊水文
御利益疫病退散 技芸上達
菊と水 を組み合わせた菊水は、長寿延命の伝説にちなんだ文様である。中国河南省甘谷の谷川には深山に咲く菊の滋液が含まれているといわれ、そこに住む人びとはみな百歳以上の長寿であったという。
鎌倉時代から好まれるようになった菊水文は、中国の伝説から不老長寿をあらわす吉祥文様。「流れ菊」「菊の遣り水」とも呼ばれた。[1]
菊を浸した水 を飲むと長寿が保てると中国の故事から、長寿の象徴になった。[2]
流水 の上にキクの花がなかば浮かび出た文様。楠木氏の紋としても知られる。
- 刀剣の刃文が、菊の花の流れ文様のようになっているものを、菊水刃という。元禄(1688〜1704)以後、河内守国助、伊賀守金道など京坂の鍛冶に見られる。
- 羊羹(ようかん)など棹物菓子を切ったときに、その断面に菊水の模様が表れるように作ったものを、菊水巻きとよぶ。[3]
菊花 に流水を配した文様で、普通定形なく自由な意匠によって用いられるものと定形の家紋とある。自由意匠の菊水文は古くから今日に至るまで各種各様に使用され、「浴潮菊」「流れ菊」「菊の遣り水」など風雅の名で呼ばれているものもある。江戸時代の「菊水文耳盥(きくすいもんみみだらい)」の文様はすぐれ、東京国立博物館の「菊水双鶴鐘」は菊水文の古い作品例である。楠正成の菊水文はあまりにも有名で、短刀の目貫・兜の吹返し金具短刀の鞘蒔絵・旗指物など随所に用いられている。楠氏以外に和田・橋本・甲斐庄(かいしょう)の諸家も菊水文を家紋とした。[4]
文献等の用例
- 太平記 − 三八・和田楠与箕浦次郎左衛門軍事「十余箇所に村雲立ちて引かへたる勢、旗共は、皆菊水(キクスイ)の紋也」(14世紀)
- 雑俳・早苗歌「菊水の旗は御夢の仕入鷹」(1739)