色彩文様研究所
鳳凰文
鳳凰文
御利益神仏加護 夫婦円満
鳳凰 は龍と同じく、古代中国における四瑞のひとつである。鶏のような冠に、五色の羽、長い尾をもち、全体的に鶏と孔雀(くじゃく)を組み合わせたような姿であらわされる。徳の高い君子が帝位につくとあらわれると考えられ、慶事を象徴する鳥として愛好されてきた。鳳凰の鳳は雄を凰は雌を指し、雌雄が一緒に飛び、相和して鳴くと天下泰平を意味するともいわれる。
鳳凰をあらわした文様は古くからあり、龍と同様に殷・周時代の青銅器に刻まれたものが最初の例とされる。以降、時代を経るごとに姿を変えながらさまざまな工芸品に取り入れられてきた。
日本では、中国から伝来した鳳凰文をもとに、飛鳥時代から工芸品の文様に用いられるようになった。中国と比べると日本の鳳凰文は、時代性はあまりないが、他の文様と組み合わせるなど、バリエーションを増やしていくかたちで発達した。いずれも、一貫して吉祥を意味する文様として使われている。
日本の古い鳳凰文の例としては、正倉院宝物のほか、玉虫厨子(たまむしのずし)に描かれている仙人をのせて天を飛ぶ鳳凰がある。細長い顎をもち、両脚を広げた駆けるような姿が飛鳥・奈良時代の鳳凰の特徴である。時代が下がると、飛翔する鳳凰を意匠化した飛鳳や、尾の部分を唐草であらわした鳳凰などもみられる。室町時代以降には、桐鳳凰、桜鳳凰などさまざまな組合せによる鳳凰文が展開した。[1]
鳳凰 は中国の伝説では、名君が出て天下泰平である時に現れる瑞鳥である。日本では飛鳥時代から盛んに使われはじめ、法隆寺玉虫厨子では鳳凰の上に仙人が乗る。正倉院の宝物にも多数使われ西方の影響も見られる。その後吉祥文様として長く愛好される。桐の木に棲み、竹の実を食べることから桐竹鳳凰文が構成された。鳳が雄で凰が雌。[2]
想像上 の鳥の鳳凰を図案化した文様。桐、竹などと一緒に描かれ、「桐竹鳳凰」のほか「鳳凰の丸」「桐に鳳凰」などがある。
鳳凰は、嘴(くちばし)は鶏首、頭は蛇に似たものが多く、羽に五色の紋があり、尾は忍冬唐草などの特徴がある。梧桐に宿り、竹の実を食し、醴泉(れいせん=甘い水の泉)の水を飲んで、聖天子出生の瑞兆として出現すると伝えられた。雄を鳳、雌を凰とに分けて称することもある。[3]
想像上 の瑞鳥で、驎・龍・亀と共に四霊とされ四瑞とされる。その雄を鳳、雌を凰と称し、中国の古書に「鳥の属三百六十あって鳳凰はその長をなす」と記され、鳥王と呼ぶ。その首の羽には仁・腹の羽には信の文(あや)があるという。またその声は簫のようで、生虫は啄(つい)ばまず、生草は折らず、群居することなく、猥(みだ)りに飛ばず、羅網(鳥をとる網)に罹(かか)らず、桐にあらざれば栖まず、竹の実にあらざれば食わず、醴泉(甘味のある泉)にあらざれば飲まず、飛べば群鳥これに従う。閃々と輝く黄金色の雉子の翼と、絢爛たる孔雀の尾を具へ、蒼鷺の如き姿をなすといわれる。能く天下の治乱を知り、明君出て天下泰平なれば現わる。八仙(八人の仙人)と此世の人との交通の仲介をなす。仁愛と慈悲の鳥で、その出現は世の好況と人々の幸運の前触れであると見なされている。鳳凰も仏教文化の伝来によってわが国へ紹介され、飛鳥(あすか)・白鳳の頃から文様として使われた。伊勢神宮微古館蔵の古墳から出た「馬の飾り金具(杏葉)」に透し文様にしてある双鳳は、わが国最古の鳳凰文であろう。奈良南法隆寺の鳳凰文「磚(せん)」はこれに並ぶべき遺品である。この外鳳凰文錦・瑞花双鳳八綾鏡・双鳳宝相華文如意・銀薫炉・金銅水滴などの古いものや、柿右衛門の鳳凰文色絵鉢と徳利・古九谷の皿・平佐焼の手焙(てあぶり)・仁清の壺・室町時代の桐竹鳳凰文の袿(うちかけ)・江戸後期の桐竹鳳凰文の袍・鎌倉時代の鶴岡八幡宮にある小葵鳳凰文の袿・江戸中期の桐鳳凰文友禅染小袖裂・平安時代の鳳凰円文螺鈿の唐櫃・桃山時代の鳳凰文の能衣装など各種の工芸品に用いられている。[4]
文献等の用例
- 源平盛衰記 – 二・清盛息女事「其うぶやの前に鳳凰(ホウワウ)の千尋の竹に居たるを、かかせ給ひたりけるが」(14世紀前)
- 浄瑠璃・賀古教信七墓廻 – 三「聞へた聞へた紋所<略>鳳凰の丸、扇の丸手をつくしてぞ染なせり」(1701)