色彩文様研究所
秋草文
秋草文
御利益ー
秋の野 の風景に情緒を感じるのは、日本人特有の感覚であろう。秋の草花を取り合わせ文様としてあらわすようになるのは、和様化が進んだ平安時代である。秋草文壺(十二世紀、慶應義塾蔵)には、胴部に薄(すすき)が線刻でのびのびと描かれ、秋の情緒があらわされている。室町時代以降、秋草文様は漆芸品を中心に多用されるが、なかでも高台寺蒔絵と呼ばれる豊臣秀吉夫人の北政所(きたのまんどころ)が愛用していたといわれる調度品類は、萩(はぎ)や薄などの秋草により華やかに装飾されている。
秋草文を構成する草花には、秋の七草(萩、薄、葛(くず)、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、桔梗(ききょう))、竜胆(りんどう)、菊(きく)などがある。これらのうち数種を自由に取り合わせ、秋の風情をあらわす文様として用いられてきた。江戸時代には小袖をはじめとする染織品や磁器の文様にも取り入れられ、日本人の美感に訴える秋の代表的な文様として長期にわたり親しまれてきたことがうかがえる。[1]
秋草文様 とは秋の七草である萩・薄(すすき)・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗に加えて、竜胆(りんどう)や菊など秋の野に自生して生える草花をいろいろ取り交ぜて文様にしたものをいう。秋草が寄り添うように咲いているところは風情があり、うつろいゆく時の悲しさや人生の無常観を感じさせる日本的情緒の文様である。[2]
ハギ、 オバナ、キキョウ、オミナエシ、キクなど、秋に花の咲く草花を模様にしたもの。「秋草尽くし」「草尽くし」とも言う。[3]
秋 はさまざまの花が咲き乱れ、最も美しい季節とされる。それらの秋草は古くから文様として愛用された。奈良時代のものは唐風で様式化して何かしら堅い感じがするが、平安時代になると唐風から脱して日本的のものとなった。東京国立博物館にある平安時代の「秋草雀文鏡」はその一例で、薄(すすき)など秋草が風に靡き、空に雀、蝶、蜻蛉が飛び交うて和風の趣をただよわしている。時代が進むにつれて草花の取扱い方が写実味を加え、絵画的要素を帯びるようになった。京都東山の高台寺にある「秋草蒔絵文庫」同じく高台寺蔵の「秋草文様蒔絵歌書箪笥」などは桃山時代のもので日本調がはっきりと表現されている。さらに江戸中期の「御簾に雲秋草文様小袖」「秋草文様白地描絵小袖」(いずれも東京国立博物館蔵)は絵画的で多分に写実味をふくんでいる。このような秋草文様は友禅に多く採り入れられ、友禅の特色の一つとなった。[4]
文献等の用例
- 青春<小栗風葉>夏・一五「眞岡(まをか)の浴衣(ゆかた)の膝が崩れて、中形の秋草模様にポトリポトリと搾(しぼ)り落すやうに涙の露を浸染(にじ)ませて居る」(1906)
- 家<島崎藤村>下・四「お俊は自分の筆で書いた秋草模様の帯を〆て居た」(1910)
- 地底の歌<平林たい子>訪問者「かつて秋草模様の反物の下っていた敷地に今はほんものの秋草が模様の様に乱れているのだった」(1948)
- 橋づくし<三島由紀夫>「白地に黒の秋草のちぢみの浴衣を着た」(1956)