色彩文様研究所

麻の葉文

麻の葉文

御利益子孫繁栄 安産祈願

麻の葉文 は正六角形を基本とし、大麻の葉に似ているところから、近世に入ってその名が付けられた。文様自体は古くからあり、平安時代の仏像などにも切金(きりがね)での装飾がみられる。麻は丈夫ですくすくと育つことから、子供の産着に用いられるなどの習慣ができ、長襦袢(ながじゅばん)や帯にも多く使用された。歌舞伎の演目「八百屋(やおや)お七」の衣装では、鹿(か)の子絞りの文様として、地の緋と浅葱の麻の葉があらわされている。[1]

六角形 を基本とした幾何学文様。形が大麻の葉に似ることからこの名が付けられた。麻は丈夫ですくすくとまっすぐにのびることから、子供の産着に用いる習慣があった。着物に限らず帯や襦袢、袋小物に頻繁に用いられる。[2]

六角形状 に六個の菱形を結びつけた文様で、主としてその連続文様を指して言い、特に、「麻の葉繋ぎ」と呼ぶこともある。その形状が麻の葉に似ているところからこう呼ばれるが、完全な幾何学文様である。近世、文化・文政(1804〜30)頃京坂を中心とした女性の間で流行した。また、真っ直ぐにのびる麻にあやかって、子供の産着、下着の文様として用いられた。変形種が多く、「松川麻の葉」「輪違い麻の葉」「麻の葉くずし」「くずれ麻の葉」などがある。[3]

正六角形 を基礎として構成した幾何学的図形の文様。その形が大麻の葉に似た感じであることからこの名が生まれた。決して掌状の麻の葉を図案化したものではない。わが国では鎌倉時代から行われたらしく、建築、染織、漆工などに用いられた。正六角形になった単独のものが、いわゆる麻の葉で、これをいくつか続けたものを「麻の葉繋ぎ」とか「麻の葉崩し」と呼ぶ。また家紋として麻の葉を用いたものもあって「丸に麻の葉・三つ割麻の葉・三つ外割麻の葉・麻の葉桔梗・麻の葉桐」など種類が多い。麻の葉を神紋とするものに徳島県板野郡大麻町の旧国幣中社大麻比古神社がある。祭神大麻比古命の後裔が阿波国に到り、麻を播殖して麻布をつくり殖産の基を開いたので、その祖先である大麻比古命が勧請されて祭祀され、その御名と子孫の栽培した麻に因んで麻の葉を神紋としたものという。江戸中期の明和・安永の頃からこの文様を表紙にした「麻の葉表紙本」と称する読み本が流行した。麻の葉は婦人の長襦袢、女帯などに特に喜ばれ、絞り染でつくられ、また子供の産衣に麻の葉文様のものを用いる習俗のある地方も多い。[4]

文様の「麻の葉」
麻の葉
文様の「網代組麻の葉」と「八ツ手麻の葉」
(左)網代組麻の葉
(右)八ツ手麻の葉
文様の「輪違い麻の葉」と「松川麻の葉」
(左)輪違い麻の葉
(右)松川麻の葉

文献等の用例

  • 滑稽本・浮世風呂 – 三・上「『一粒鹿子かエ』『アア』『麻の葉もよいねへ』『あれは半四郎鹿子と申すよ』」(1813)
  • 歌舞伎・青砥稿花紅彩画(白浪五人男) – 三幕「『これ四十八、鹿の子はどちらがよかろうぞいの』<略>『そんなら麻の葉の方にしようわいの』」(1862)
  • 日本橋<泉鏡花>一六「座敷で、お千世が何時(いつも)着る、紅と浅黄と段染(だんぞめ)の麻の葉鹿の子の長襦袢を、寝衣(ねまき)の下に褄浅く、ぞろりと着たのは」(1914)
  • 東京の三十年<田山花袋>その時分「麻の葉の襟(えり)なども私の眼についた」(1917)
  • 青年の環<野間宏>一・化粧・二「すると彼の眼の前の濃紫の麻の葉模様がさっと横に動いて、沢子の敏捷な体は彼の足の上をこえた」(1950)

脚注

  1. ^ 並木誠士『すぐわかる 日本の伝統文様』東京美術 2006年
  2. ^ 『日本・中国の文様事典』視覚デザイン研究所 2000年
  3. ^ 『文様の手帖』小学館 1987年
  4. ^ 岡登貞治『新装普及版 文様の事典』東京堂出版 1989年