色彩文様研究所

花筏文

花筏文

御利益家内安全 富貴繁栄

もともと は桜花が散って川面をひとかたまりになって流れる様子を筏に見立てたものであった。やがて筏とともに花弁が流れる様子が文様として定着し、さらに花枝や花弁を乗せた筏を文様とするようになった。
◆ 高台寺御霊屋須弥壇(たまやしゅみだん)
川面に散る桜が筏とともに流れるおだやかな春の情景で、流水の繊細なラインがはんなりとした雰囲気を醸しだしている。豊臣秀吉が盛大に桜見をおこなった吉野の川をイメージしているともいわれる。 [1]

を乗せた筏が流れていく様で通常桜が使われる。時間の流れを感じさせる美しい文様。
水の上に散った花が一固まりになって筏のように流れている文様をいうが、実際に筏が描かれる事も多い。[2]

をかたどった文様で、花をあしらったものを「花筏(はないかだ)」と言い、特に桜花が筏とともに流れる図柄が多い。[3]

花筏 は桜花が散って水面に花の一団となって流れる様をいうが、また筏に花の折枝を添えたものをも意味する。文様としては多く後者を意匠化したもので、長野県飯山の藩主本多家がこれを替紋に用い、その風流が今に至るまでたたえられている。江戸時代には花筏に「筏」の字を添えて「伊達筏」と称し、小袖などに染め出した。江戸前期の佐賀鍋島焼に「花筏文皿」が五彩によって美しく描き出されている。江戸後期の永楽保全の「色絵花筏文茶碗」はやや太い線で筏と水を描き、桜の折枝を色絵で添えた淡雅な作品である。京都東山にある高台寺霊屋は秀吉と北政所とを祀った所であるが、その内壇の框(かまち)に桜の花筏を描いてある。あまり濃艶でなく、霊屋にふさわしい散る花の流れる姿である。[4]

文様の「萌葱縮緬地柳桜筏文様小袖」
萌葱縮緬地柳桜筏文様小袖
奈良県立美術館
文様の「高台寺御霊屋須弥壇」
高台寺御霊屋須弥壇
高台寺
文様の「花筏」
花筏

文献等の用例

  • 俳諧・犬子集 − 二・花「川の瀬の文所かや花筏<正信>」(1633)
  • 俳諧・俳家奇人談 − 下・遊女談「平生花筏の紋を附しを、初心なりと笑へる人に答て、流れる身に似合しき花筏」(1816)

脚注

  1. ^ 並木誠士『すぐわかる 日本の伝統文様』東京美術 2006年
  2. ^ 『日本・中国の文様事典』視覚デザイン研究所 2000年
  3. ^ 『文様の手帖』小学館 1987年
  4. ^ 岡登貞治『新装普及版 文様の事典』東京堂出版 1989年