色彩文様研究所
半じ絵文・悟り絵文
2020年11月24日
判じ絵文・悟り絵文
御利益ー
和歌 や文学にちなんだ図柄を模様にして、その背後にある文学世界を暗示する意匠は、平安時代より工芸品に取り入れられてきた。江戸時代はそこに遊び心が加わり、判じ絵や悟り絵という分野が大いに面白がられた。
◆ 石畳に鷹楓滝文様小袖
小袖の背面には「紅鷹」「舞鷹」「若鷹」、前面には「紫鷹」「黄鷹」の文字が置かれる。それぞれ「こうたか」「まいったか」「わかったか」「しったか」「きいたか」と読み、鷹は「夜鷹」を表すことから遊郭に関する駄洒落の意味であろうとされる。
◆ 鎌輪ぬ文
「鎌」と「○」と「ぬ」の字で「構わぬ」と読み、元禄時代に「水火も厭わず身を捨てて弱い者を助ける」という心意気を示す町奴等が好んで着たのが始まり。一時すたれたが、後に歌舞伎役者七代目市川団十郎が舞台で着て評判になり、広く流行した。
◆ 斧琴菊文
「斧(よき)」と「琴」と「菊」を合わせて「良き事聞く」と読ませる。三代目尾上菊五郎は自分の芸名の「菊」の文字が入った吉祥文様ということで愛用した。ライバルである市川団十郎の「鎌輪ぬ」に対抗したともいわれる。「鎌輪ぬ」は男性が「斧琴菊」は主に女性が用いた。
[1]
「鎌輪ぬ」 から派生した文様に鎌と井げたと升をかたどった「鎌井升(かまいます)」があった。[2]
謎語文様 の一種で、斧・琴柱(ことじ)・菊の花の三つを染め出して「善き事を聞く」の意を寓したものである。「浮世風呂」の二に「謎染めの新形浴衣」と記しているように専ら浴衣の文様にし、また手拭にも用いた。[3]
文献等の用例
- 滑稽本・狂言田舎操 − 下「手巾(てぬぐひ)は何(あん)だ。かま・わ・ぬか。今時持つでもあんめへ。江戸は早(はあ)疾(とっく)に流行(はやり)過ぎて」(1811)
- 歌舞伎・戻橋脊御摂 − 序幕「三行(くだ)り半の去り状に、当時流行(はや)りのかまわぬを、印形にして、しっかりと、押したその上」(1813)
- 滑稽本・浮世風呂 − 二・上「よきことをきくといふ昔模様。謎染(なぞぞめ)の新形浴衣をかかえて」(1813)