色彩文様研究所
亀文
亀文
御利益神仏加護 延命長寿 戦勝祈願
亀 は、古代中国において、四神のひとつである玄武(げんぶ)として蛇が巻き付いた姿であらわされた。また天地を支える存在とされ、このイメージは朝鮮半島にまで広まったが、日本では、もっぱら吉祥文様として用いられた。
日本の亀文様は古くは、弥生時代の銅鐸(どうたく)や、飛鳥時代の天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)にみられる。寿命万年を生きる長寿の象徴とされ、長生きをして尾に海草がついた蓑亀(みのがめ)は、単独で用いられるよりも、寿命千年といわれる鶴との組合せ文が多い。松竹梅と鶴亀の取合わせや、伝説上の山である蓬莱山(ほうらいさん)を背負った亀など、めでたいモティーフを何重にも重ね合わせて吉祥性を強調する意匠が多くみられる。[1]
日本 における亀文様は古くは弥生時代の銅鐸(どうたく)にあらわれ、また北の守り神の玄武として古墳壁画にも描かれた。鶴と並んで亀は寿命万年を生きる長寿のシンボルとして、お祝いの文様には欠かせないものになった。[2]
カメ(亀) を図案化した文様。「亀は万年の齢を経、鶴も千代をや重ぬらん」(謡曲・鶴亀)と言われているように、亀は鶴と並んで長寿であるとされていることから、古来、動物の吉祥文様の代表的なもの。
霊獣の一つとして描かれた「霊亀」や、年老いて緑苔が生じた姿を描く「蓑亀(みのかめ)」がある。また、亀と蛇を合わせたような「玄武(げんぶ)」が別にある。中国の神仙思想で、不老不死の仙人が住むという蓬莱山(ほうらいさん)をかたどった「蓬莱山文」には、松竹梅、鶴などと一緒に亀が描かれる。
〔参考〕
中国で、四方に配した神獣を四獣(しじゅう)と称し、東の青竜、西の白虎、南の朱雀(朱鳥)、北の玄武を言う。また、それぞれに四季を配したところから、青春・白秋・朱夏・玄冬などという表現が生まれた。[3]
中国古代 の銭に「亀鶴斉寿」の四字を表に、亀と鶴の図を裏に鋳出したものがあるが、これにより亀と鶴が長寿瑞祥の仙禽とされたことが察せられる。亀の字は久(きゅう)なり、千歳を経れば霊を具えて吉凶を知るという。亀の寿は一千二百歳(日本では万年)天地の始終さえも卜することを得。亀は百歳にして一尾を生じ、千歳にして十尾となる。二百歳を一総亀といい、千歳を五総亀という。亀には神亀・霊亀・宝亀・文亀等の十種あって、甲の紋を亀背紋・亀甲紋と呼び各種のものに用いられる。朱雀・青龍・白虎・玄武(亀と蛇)を四霊と称し、四神と呼び四方の方角を示すものとされている。わが国でも古代から亀にまつわる神話風のものがある。豊玉姫が妹の玉依姫と大亀に乗って海を渡って来たとか、大亀が河中からあらわれたので垂仁帝が矛(ほこ)で刺したら、たちまち白石と化して瑞兆とされたなどと記されている。銅鐸には亀の文様が見られる。聖徳太子の妃橘姫の「天寿国繍帳」には二つの亀形の中に「干時多至」と「利令者椋」の四字ずつを繡い出してある。亀文様の工芸品が数多くあるが、その奇抜なものとして江戸時代の「大亀文木綿単衣」が特に注目される。家紋にも当然用いられ、「蓬莱亀・登り亀・浮線亀・みの亀・親子亀・光琳亀」などがある。[4]
文献等の用例
- たまきはる「からあやの三こそで、もんみなかめ」(1219)
- 談義本・古朽木 – 三「亀の丸紋所に亀甲(きっかふ)の風呂敷包は、御万歳の看板」(1780)