色彩文様研究所

青海波文

青海波文

御利益未来永劫 技芸上達

海面 にみえる波頭を幾何学的にとらえた青海波(せいがいは)は、古代から用いられた文様であるが、舞楽(ぶがく)「青海波」の装束に用いられたことからこの名がついたという。江戸時代の中期には、塗師青海勘七(ぬしせいがいかんしち)が特殊な刷毛を用いて巧みに描いたことによって、広く流布した。[1]

青海波 はエジプトやペルシアをはじめ世界各地に見られる文様である。日本でも古くは埴輪の着物にも見られるが、水を意味するものとして描かれるのは鎌倉時代の古瀬戸瓶子からである。「青海波」という雅楽の舞曲から名づけられたとされており、江戸時代の舞人の装束の袍にはこの文様が付けられている。「源氏物語」にも紅葉賀の巻に源氏が頭の中将と「青海波」を舞う情景があるが、平安時代の文様には青海波というものは見あたらないので、どんな文様であったのかは不明である。この文様は江戸時代の中期に勘七という漆工が特殊な刷毛で巧みに描いたので、世間で彼を青海勘七と呼びこの文様を工芸全般に広く普及したとされている。[2]

を四分したような形の文様をいくつも重ねたもの。雅楽「青海波(せいがいは)」は舞楽の時に用いる、波形を描いた衣服の染文様にちなむ名称。
青海波は、舞楽の中で最も優美華麗な曲とされ舞人は二人、青海波の文様の下襲(したがさね)に千鳥文様の袍を着す。[3]

波文様 の一種で、青海勘七が創始したものをいう。江戸時代の元禄頃江戸に住んで漆工を業とし、特殊な刷毛を用いて文様を描き、特に波文に妙を得た。世人これを青海波と呼び、各種の器物に応用して喜ばれた。のちに津軽候に仕えて彼地で歿した。爾来この文様を使ったものは多種多様で、江戸時代には銭貨にまで用いられ、秋田藩の「秋田浪銭」は中央に孔もなく、周囲に輪郭もない青海波ばかりの文様である。[4]

文様の「青海波」
青海波
文様の「青海波に貝」
青海波に貝
文様の「青海波、立浪と霞」
青海波、立浪と霞

文献等の用例

  • 浮世草子・好色一代男 – 四・六「下には水鹿子の白むく、上にはむらさきしぼりに青海波(セイガイナミ)、紋所は銀にてほの字切ぬかせ」(1682)
  • 雑俳・柳多留 – 三一「春の雪せいがい浪のなかで喰い」(1805)
  • たけくらべ<樋口一葉>八「門の箒目、青海波(セイガイハ)をゑがき」(1896)
  • 山桜<石川淳>「藍地に青海波の着物の模様は」(1936)

脚注

  1. ^ 並木誠士『すぐわかる 日本の伝統文様』東京美術 2006年
  2. ^ 『日本・中国の文様事典』視覚デザイン研究所 2000年
  3. ^ 『文様の手帖』小学館 1987年
  4. ^ 岡登貞治『新装普及版 文様の事典』東京堂出版 1989年