色彩文様研究所
梅文
梅文
御利益安産祈願 合格祈願 学問達成
梅 は、中国原産の花木で、奈良時代のはじめに薬用植物として渡来した。百花にさきがけて厳寒のなかで香り高く咲く梅の花は、中国では逆境に耐える強い木として、人の生き方の理想とされたが、日本人にも古くから愛好され、『万葉集』にも多く詠まれている。平安時代以降、縁起のいい植物として文様にも取り入れられてきた。
もともと中国の花として鑑賞されてきた梅が日本の木として広くなじんだ背景のひとつには、平安時代以来の天神信仰があった。菅原道真(すがわらみちざね)が九州の太宰府(だざいふ)に左遷される際に詠んだという歌、「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」にちなんで、梅の花は学問に長けた道真の象徴となった。太宰府には、道真を追って梅が飛来したという飛梅の伝説もある。やがて、天満宮の神紋として使われるようになり、日本人になじみ深いものとなった。
梅は別名を好文木(こうぶんぼく)といい、学問が栄えると立派な花をつけると伝えられることからも学問とのつながりが深いことがわかる。
新春をあらわす題材としても親しまれ、器物や調度類にも多彩に表現されている。
梅の花や枝木をありのままに描写した梅花文(ばいかもん)のほか、鶯と組み合わせる場合も多い。五つの丸い花弁を幾何学的に配列した梅鉢や花弁がたがいに重なり捻れたかたちで表現された捻梅(ねじうめ)は家紋にも用いられている。そのほか、花と蕾のついた梅の枝をまっすぐに立てた槍梅(やりうめ)、花を裏から見た様子を意匠化した裏梅など多くの種類がある。江戸時代には吉祥図様として松竹梅が流行した。[1]
梅 の原産地は中国で奈良時代の少し前に日本に伝わり、貴族たちの間で競って屋敷に梅の木を植えた。菅原道真もこよなく愛でた梅は、学問が栄える時に見事に咲くという言い伝えがあり、天神信仰との関わりもあり中世には庶民にも好まれた。梅花は家紋にも多く登場する。[2]
ウメ(梅) を図案化した文様。特に区別して、ウメの花弁の文様を「梅花文」、梅花が枝についている文様を「枝梅」、ウメの木全体の文様を「梅樹文」とも言う。松、竹と並んで吉祥文様の一つとして親しまれている。また、菊・竹・蘭とともに四君子の一つ。
早春、葉に先立って香りのよい五弁花が咲く。色は白、紅、淡紅などがあり八重咲きもある。
◆ 雪月花
画題「雪月花」の花は桜が一般であるが、この言葉の原典白楽天の詩では梅を指す。日本では『和漢朗詠集』に引かれて広く知られるようになった。因みに、『万葉集』においては、梅をよんだ歌が百十数首を数え約四十首の桜を圧倒していたのが、百人一首では梅一首桜六首と逆転している。[3]
梅 がいつ頃から文様とされたか明らかでないが、平安前期の「赤不動」と俗称される高野山明王院の不動明王の裳に梅紋が描かれているので、この頃すでに用いられていたことがわかる。菅原道真を祠る福岡県太宰府天満宮の神紋は梅紋で、京都の祠官などが起請文(きしょうもん)に梅紋を使い、京都北野神社の午王(ごおう)宝印には同じく梅紋が捺されている。紋章の梅文は「梅花紋」と「梅鉢紋」に二大別され、梅花紋には芯(しべ)のある「向う梅・匂い梅・利久梅・軒端(のきば)梅」などがあり、芯のないものに「梅輪・重ね梅」がある。梅鉢紋には軸のある「剣梅鉢・割梅鉢・花つき梅鉢」軸のない「星梅鉢・裏梅鉢」などがある。そのほか「浮線梅・枝梅・香包梅・梅鶴・結び梅・槍梅」など雅趣に富んだ文様名もある。梅を金工作品の文様としたものに室町時代末期のもので東京国立博物館にある「青銅梅竹透文様釣灯燈」はその呼称のように梅と竹とを透かして現わしている。漆工には静岡県三島神社の「梅蒔絵手箱」大倉集古館の「扇面散し蒔絵手箱」徳川黎明会蔵の「蒔絵初音棚」などにほどこされてある梅樹文は、いずれも精巧なものである。染織には古い時代に梅文様が殆どなく、江戸時代から盛に用いられたらしい。太宰府の梅鉢紋はその当初からでなく後世になっての制定である。江戸前期のもので「黒地梅樹文小袖」は匹田絞りに梅を刺繍した大柄のもので、徳川三代家光の側室桂昌院の着用したもので、俗に「桂昌院小袖」と呼ばれるほど優れたものである。江戸後期の友禅染の「梅文小袖裂」には梅花を他の文様と交えて用いたものが美しく、また茶屋染帷子(からびら)に満開の梅樹文を染め出したもの、東京国立博物館にある「赤地梅樹文様匹田絞振袖(あかじうめのきもんようひったしぼりふりそで)」は、全面に匹田絞りをしながら線状に梅樹を巧みに表わしたものである。「槍梅に竹文様型染小袖」は細かく梅や竹を染め出して型染めの醍醐味を発揮している。沖縄の紅型(びんがた)染にも梅花・枝梅・梅樹を文様としたものが多く且つすぐれている。陶器には織部焼葢物の梅鉢文、仁清の「梅月図壺」と「梅花文水指」とはいずれも典雅優麗である。さらに柿右衛門の「花鳥図壺」鍋島焼「色絵瑞祥図瓶子」はともに咲き誇る梅を描いてそれぞれの特色を発揮し、すこぶる気品に富んでいる。[4]