色彩文様研究所
鱗文・鱗形
鱗文・鱗形
御利益災難厄除 金運上昇
三角形 を上下左右に連続して配した文様で、その頂点が接するため、三角形の間に新たな三角形ができる。それが連続することで別の幾何学文様が重層的に構成される。三角形の連続を魚や蛇の鱗に見立てて、その名が付けられた。
三角形の連続文様は、古くは古墳の装飾壁画や埴輪(はにわ)にみられる。また、鎌倉幕府の執権(しっけん)北条時政(ほうじょうときまさ)の旗印は三角形を三つ重ねたもので、三ツ鱗と呼ばれる。室町時代頃から武将の陣羽織(じんばおり)や能装束などに用いられるようになり、江戸時代には歌舞伎の衣装にもみられる。
能楽で鱗文は蛇体や鬼女の衣装に使われる場合が多く、能「道成寺(どうじょうじ)」では、怨霊と化した白拍子(しらびょうし)が鱗文の衣装で現れる。歌舞伎の「京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)」などでも蛇体をあらわした清姫(きよひめ)の衣装に用いられている。[1]
正三角形 または二等辺三角形を連ね、地と文が入れ替わる構成の文様。単純で描きやすいためか古代から世界各地に見られ、日本でも古墳の壁画や埴輪に使われている。魚の鱗に似るためこの名前がある。地文に用いられ、能や歌舞伎では鬼女や蛇の化身の衣装に使われる。[2]
三角形 を幾つもその頂点を合うように組み合わせて配列した文様。三角形の一つのものは「一つ鱗」で、紋所にはその他「二つ鱗」「三つ鱗」等がある。
古くは「いろこがた」とも。
歌舞伎では娘道成寺で、清姫が蛇体になることを表した衣装に用い、能楽では鬼女などの衣装に用いる。[3]
地と文様 とが幾何的に同一三角形が交互に入れ替わって構成する文様。その正三角形が三つのものを「三つ鱗」高さの低い二等辺三角形のものを「北条鱗」という。三角形三つ以下では鱗をなさないが紋章では「二つ鱗・一つ鱗紋」がある。織物・染物で三つ鱗を三つ重ねた「九つ鱗」頭を集中的に五つ組み合わせた「五つ鱗」大小四つずつ四方四隅に向けて組み合わせたものを「八つ鱗」と呼ぶ。鱗文は鎌倉時代に描かれた春日権現験記絵巻と法然上人絵伝に散見される。鎌倉初期の執権北条時政が江ノ島弁財天に参籠の際、大蛇の残した鱗を入手したのを記念して「三つ鱗」を旗印にしたと太平記に記されている。蒙古襲来絵詞(鎌倉時代)の中にも描かれている。室町時代の住吉緞子が鱗文で、同じ時代の井筒屋金蘭は緞子地重ね鱗文金蘭である。能楽では鬼女などの衣装に多く用いられる。[4]
文献等の用例
- 温故知新書「鱗形 イロコカタ」(1484)
- 俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻「小蒲団に大蛇のうらみ鱗形(ウロコガタ)<芭蕉>かねの食(めし)つぎ湯となりし中<信章>」(1677)
- 浮世草子・傾城禁短気 – 三・一「うそぐらき片影の、突上窓の鱗形(ウロコガタ)したる明りを受けて」(1711)
- 随筆・孔雀楼筆記 – 二「石畳・鱗がたは、その時節式正(しきしゃう)の衣服と見へたり」(1768)
- 咄本・聞上手 – 幽霊「をを、白無垢がなくても、うろこの半てんで」(1773)
- 金貨<森鴎外>「八が開けたのは金いれに相違ない。緑いろの革で四角に出来てゐて、緑と蝶番の所とは勿論、四隅に附いてゐる鱗形(ウロコガタ)の装飾も、<略>皆銀である」(1909)