色彩文様研究所

七宝繋ぎ文・輪違い文

七宝繋ぎ文・輪違い文

御利益商売繁盛 家族円満

連続する 幾何学図形には、四つの同じ大きさの円を四分の一ずつ重ね合わせて、規則的につなげていく七宝繋ぎ文(輪違い文・四方襷とも)がある。円が四方・十方に広がり、その音通から仏教の七つの宝を示す「七宝文」と称されるようになったといわれる。[1]

七宝 は同じ大きさの円の円周を四分の一ずつ重ねて繋いでゆく文様で、有職文では「輪違い」と呼ぶ。仏教でいう七宝は金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・瑪瑙(めのう)・蝦蛄(しゃこ)の七つの宝物で文様との関係は不明であるが、七宝の円形は円満を表し、吉祥文様としてのイメージが定着し宝尽くしの一つに数えられるようになった。[2]

両端 のとがった長楕円形を四つつなぎ合わせて円形状にしたものを七宝と称し、その連続文様をも言い「七宝繋ぎ」とも。中に花を配する「花七宝」が多い。また、複数の輪を重ねる輪違いの一種とみて、「輪違い」とも言う。
七宝は、仏教で七種の金属、宝石類を称したところから、貴金属、宝石類の多彩な装飾の形容として用いた。七宝焼の名はこの七宝を転用したものとみられるが、文様の七宝とのつながりは明らかでない。
輪違いの一形「四方襷(しほうだすき)」が変形して「しっぽう」となったとも言う。[3]

・銀・瑠璃(るり)・瑪瑙・真珠・しゃこ(白さんご)・玻璃(水晶)の7種の宝物をいう。この七珍宝に擬して、金属面の凹みに鉱物色材を埋めて焼成したものを七宝焼と称し、略して七宝という。七宝文はこの七宝焼には特別の関係がなく、紡錘状のものが四つ結合したものを七宝と呼んでいる。七宝文様の複雑なものは正倉院裂に「黄地七宝文夾纈薄絹」などがあるが、奈良時代の「七宝文夾纈裂」と室町時代の「七宝花入文紋染」の舞楽装束裂は共に七宝文を正しく美しく染め出している。江戸時代の七宝焼に「唐花七宝文引手」「七宝花輪違文釘隠」がある。酒井田柿右衛門の「色絵花鳥文壺」の肩に自由な筆致で七宝繋ぎを描き、鍋島焼の皿・鉢などの高台には多く七宝繋ぎを用いている。小伊万里焼の「彩絵・風俗絵図大皿」の双子(そうし)読む元禄娘の着物に七宝文様が描かれているのは当時の衣裳風俗の一端とも見られて面白い。[4]

文様の「色絵七宝繋文茶碗(野々村仁清)」
色絵七宝繋文茶碗(野々村仁清)
サントリー美術館
文様の「七宝」
七宝
文様の「唐花七宝」
唐花七宝

文献等の用例

  • 洒落本・にやんの事だ「としのころ三十ばかり、七宝ぞめのゆかたにもへぎはかたの帯」(1781)
  • 洒落本・三都仮名話「親和も大明筋も少しの間にあきが来る。七宝つなぎも舛つなぎもむかしにました事はなし」(1781)
  • 義血侠血<泉鏡花>一九「浅葱地(あさぎぢ)に白く七宝繋(シチパウツナギ)の、洗晒(あらひざら)したる浴衣の片袖にぞありける」(1894)
  • 別れた妻に送る手紙<近松秋江>「くすんだ地に薄く茶絲(ちゃ)で七宝繋ぎを降り出した例(いつも)のお召の羽織に」(1910)
  • 梁塵秘抄 – 二・四句神歌「聟の冠者の君、何色の何摺か好う給う<略>輪鼓(りうご)わちがへ笹結」(1179)
  • 増鏡 – あすか川「萌黄の打衣、桜をだみつけにして、わちがへを細く金の文にして、色々の玉をつく」(14世紀中〜後)

脚注

  1. ^ 並木誠士『すぐわかる 日本の伝統文様』東京美術 2006年
  2. ^ 『日本・中国の文様事典』視覚デザイン研究所 2000年
  3. ^ 『文様の手帖』小学館 1987年
  4. ^ 岡登貞治『新装普及版 文様の事典』東京堂出版 1989年