色彩文様研究所

蜀江文

蜀江文

御利益

八角形 と四角形をつなげて隙間なく構成された文様で、斜め方向につなぎ合わせたものが一般的である。八角形と四角形のなかに、唐花文や雲龍文などの文様を入れた重厚な感じのものが多い。錦(にしき)や金蘭(きんらん)の文様として広く用いられた。
名の由来である蜀江とは、三世紀頃に中国で栄えた蜀(現在の四川省成都付近)の首都を流れる河を指し、赤染にすぐれた場所であったため、そこで織られていた錦を蜀江錦と呼んだ。
法隆寺に伝えられる蜀江錦には、格子蓮華文(こうしれんげもん)、亀甲花唐草文(きっこうはなからくさもん)、双鳳連珠円文(そうほうれんじゅえんもん)の三種があり、これらは唐代に織られたものと考えられている。中国において、宋代以降文様の形式が固定化し、蜀江文といえば先に述べたような幾何学文を指すようになり、それらは室町時代に明から伝来し、名物裂として珍重された。京都西陣では、それを模して蜀江錦を作り続けている。[1]

蜀江 は中国の蜀の首都を流れる河で、その周辺地域では良質の絹織物を産出した。蜀江錦と呼んで世にもてはやされたが、それには八角形と四角形を繋いだような中にいろいろな文様が織り出され、この文様自体を蜀江文と呼ぶようになった。帯などによく使われる。[2]

蜀江 の錦の文様。蜀江の錦(略して蜀江とも)は、中国明代を中心にして織られた錦で、日本には多く室町時代に渡来。八角形の四方に正方形を重ね、中に花文・竜文などを配した文様を織り出したもの。この文様を蜀江型と言い、種々の変型がある。
蜀江の錦が、中国の蜀の地(現在の四川省)の成都付近を流れる蜀江(揚子江の上流に当たる川)で糸をさらしたと伝えるところからこの名が生じた。[3]

蜀江 は中国蜀の首都であった(三国時代)成都の付近を流れる河で、揚子江の上流の一部である。この地方は良質の生糸を産し、蜀江は水清く、糸をよく晒して高級な絹織物を産出したといわれる。かかることから蜀で作られた錦を「蜀江の錦」と呼ぶようになった。法隆寺に蜀江の錦が二種襲蔵されている。いずれも紅地で、一つは格子の中に花文様で、他の一つは幾何学文様で、全く趣を異にしている。蜀江錦はその後、唐・宋・元・明の各時代にわたって製作された。その文様は宋の時代以後は固定化して、常に一様の文様を織り出すようになった。この技を伝えて京都西陣でも織り出すようになり「蜀江文様の錦」といったが、いつか簡略化して中国産と同じく「蜀江の錦」と呼んだ。文様は雲龍・牡丹唐草・亀甲などである。[4]

文様の「格子花文様錦」
格子花文様錦
法隆寺
文様の「蜀江1」
蜀江1
文様の「蜀江2」
蜀江2

文献等の用例

  • 源平盛衰記 − 二八・源氏追討使事「蜀江(ショッカウ)の錦(ニシキ)の鎧直垂(よろひひたたれ)に、金銀の金物、色々に打くくみたる鎧著て」(14世紀前)
  • 浮世草子・新可笑記 − 一・一「蜀江(ショクコウ)のにしきの掛幕ひかりうつりて銀燭ほしのはやしのごとく」(1688)
  • 作詩志彀記 − 天門中断「蜀江の錦も、数百年を歴(へ)て、数十人の手を経(ふ)れば、腐爛(ふらん)垢汗(こうを)、貴人の服とすべからざる如く」(1783)

脚注

  1. ^ 並木誠士『すぐわかる 日本の伝統文様』東京美術 2006年
  2. ^ 『日本・中国の文様事典』視覚デザイン研究所 2000年
  3. ^ 『文様の手帖』小学館 1987年
  4. ^ 岡登貞治『新装普及版 文様の事典』東京堂出版 1989年