色彩文様研究所
辻が花染め
辻が花染め
御利益ー
「辻が花」 という言葉の語源や由来に関しては諸説あるが、現在「辻が花」と呼ばれるのは、室町時代末期から桃山時代に流行した、縫い締め絞りを主とする文様染の染織品のことである。縫い締め絞りとは、糸で縫った部分を染め抜く技法であるが、辻が花の場合はこれを輪郭線の描写に使ったところに特徴がある。さらに効果的に墨の描絵や暈かし墨を入れて絵文様を表現した。高級なものになると摺箔(すりはく)、刺繍といった技法も併用した。
室町時代から桃山時代にかけては服装が簡略化し、表着(うわぎ)となった小袖に時代の要求に応えてさまざまな絵文様を自在にあらわす必要が生じた。そして、それ以前は下級武士や庶民の衣装に用いられていた絞り染が上流階級へ広がったことが、辻が花流行へと至る背景として考えられている。文様としては、藤、菊、椿などの四季の花に、石畳や洲浜、松皮菱、格子を組み合わせたものが多い。[1]
表着 として着るようになった小袖は桃山時代になるとより華美なものが求められるようになり、縫箔(ぬいはく)、摺箔(すりはく)、辻が花(つじがはな)といった加飾法が使われるようになった。
辻が花は文様の輪郭を細かく糸で縫った後、糸を強く引っ張り生地を絞って染料に浸けると文様の部分がもとの色のまま残る。これに描絵や摺箔を部分的に加えたものを辻が花という。[2]
帷子 (かたびら=麻の単衣)の染文様で、白地に藍や紅で一面に葉と花とを染めたもの。縫絞りと呼ばれる絞り染めを基本とし、針目を密にして文様をかたどる。その名称や実際については不詳な点があり、現存する遺品には小袖(こそで)や胴着(どうぎ=羽織)のほか絹の裂(きれ)が多い。
歳時記では赤い帷子のことで夏の季とする。松永貞徳の「御傘」によると、「つじが花」は「つつじが花」を略したものという。これに従うと「辻」は当て字ということになる。
柳亭種彦は「柳亭筆記」で、貞徳説を排し十字形の「辻」だとし、この形に花をつないで染めたところからとしている。なお、「辻」はつむじ形の意で、その染め形になぞらえたものという説もある。[3]
絞り染 の一種。その創始は明確でないが、室町の中期から桃山時代まで行われ、その後は絶えてしまった。その作られた土地も明かでなく、奈良の南の端(はし)、本辻あたりだろうといわれている。文様の輪郭を糸で縫い絞にし、それに摺り箔・墨や朱の線描き・隈取り・色注し(いろざし)・刺繍などを加えた多彩で美しい絵文様染である。[4]
文献等の用例
- 親元日記 − 寛正六年八月二二日「御かたびら、べにいらずの辻かはな」(1465)
- 三十二番職人歌合 − 五番「春風にわかゆの桶をいただきて袂もつじが花を折るかな」(室町時代)
- 俳諧・犬子集 − 三・雑夏「錦の地にも立木やつしか花<貞継>」(1633)