色彩文様研究所

鶴文

鶴文

御利益神仏加護、延命長寿、戦勝祈願

中国では 鶴は千年生きるとされ、瑞鳥(ずいちょう)として尊ばれた。中国の仙人に由来し、日本では七福神のひとりに数えられる福禄寿(ふくろくじゅ)は、つねに鶴を従えている。日本でも、万年生きるといわれる亀とともに長寿の象徴として喜ばれた。
立ち姿、飛び交う姿ともに美しい、純白の羽毛をもつ鶴は、瑞祥の鳥として、平安時代より唐櫃(からびつ)などの調度や和鏡の文様に好まれた。また、身分の高い人びとの装束だけでなく、庶民の間でも婚礼などの慶事の際には使用された。江戸時代には、豊漁を祝う大漁着の文様としても用いられている。同じく吉祥の意味をあらわす亀や松、瑞雲(ずいうん)などと組み合わされることも多かった。
瑞鳥として愛でられたためか、飛鶴(ひかく)、雲鶴(うんかく)、群鶴(ぐんかく)、立鶴(たちづる)や鶴の丸など、鳥の文様としてはもっとも種類が多い。鳩や鸚鵡(おうむ)など異国の鳥で表現された花喰鳥(はなくいどり)も、平安時代になると松喰鳥(まつくいどり)として定着する。[1]

中国では 鶴は千年生きるとされ瑞鳥として尊ばれた。また寿星老人という仙人は瑞雲の中を仙鶴に乗って飛翔したという。日本でも長寿を象徴するものとして亀や松、瑞雲などの吉祥文と組み合わせて文様としたものが多い。[2]

ツル(鶴) をかたどった文様。ツルは古来、その端正な姿態から神秘的な鳥とされ、カメ(亀)とともに長寿の象徴となり、吉祥の鳥ともされたところから、文様としても様々に用いられてきた。
ツルはツル科の鳥の総称。サギ類のように樹上に止まることはない。松上の鶴といわれているのはコウノトリを誤認したものである。[3]

は「千年も長生する白い水鳥」と中国でいわれ、「瑞鳥・仙鶴」とされている。寿星老人がその仙鶴に乗り、天空より飛び来り八仙人手を拱(こまね)いて仰祝したといわれ、文様・図題として描かれている。中国も日本も鶴を高貴なものとし、皇太子の乗る車を「鶴駕」という。鶴の文様は古くから用いられ、平安時代や室町時代の鏡に先ず見られる。鎌倉時代の太刀や笈、紀貫之の用いた和歌料紙、厳島神社の蒔絵小唐櫃、日光東照宮陽明門の丸柱、江戸時代の印篭、仁阿弥の陶器、雲鶴古金蘭や雲鶴緞子の名物裂、江戸後期の鶴文夜着、海の長者の大漁祝着、沖縄の型染、久留米の絵絣、舞鶴・松喰鶴・有職鶴などの家紋、九州大隈の豪族肝付(きもつき)家が用いた亀甲に踊り鶴の旗指物、京都修学院離宮中の茶屋霞棚地袋に付けられた鶴文羽子板形の七宝引手、京都大徳寺大光院の鶴文銀引手、細見家の舞鶴文釘隠、光琳の群鶴文蒔絵硯箱、江戸の釜師名越善正の鋳た鶴に亀甲菊文葢の茶釜、染附分銅鶴の香合、乾山の立鶴黒楽茶碗、薩摩焼片見替り立鶴の茶碗、肥後の金工林又七の鶴文鉄鐔(てつつば)、和歌山の速玉神社にある鶴菊文櫛箱、仏具である亀背立鶴の燭台、鶴文・飛鶴文・向鶴丸などの絵銭、江戸末期安政の頃大流行した鶴に麻の葉文の半襟、千羽鶴の風呂敷など、鶴文ほど広範囲に、千姿万態に文様として用いられているものは他に類がないといえるだろう。[4]

文様の「雲鶴」
雲鶴
文様の「鶴」
文様の「鶴と松」
鶴と松

文献等の用例


脚注

  1. ^ 並木誠士『すぐわかる 日本の伝統文様』東京美術 2006年
  2. ^ 『日本・中国の文様事典』視覚デザイン研究所 2000年
  3. ^ 『文様の手帖』小学館 1987年
  4. ^ 岡登貞治『新装普及版 文様の事典』東京堂出版 1989年